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沿革

沿革

大正10年 (1921)
10.7 児玉町ほか10ケ村学校組合として認可される。
大正11年 (1922)
3.20 埼玉県児玉実科女学校として設置を認可される。(修業年限3ケ年、定員150名)
4.15 児玉町立児玉尋常高等小学校に開校する。島村隆吉氏初代校長が就任(小学校長兼任)専任教員3名。
4.19 開校式を行なう。服装は元禄袖、えび茶の袴(裾に白線入り)髪は束髪。
大正12年 (1923)
5.17 修学年限を4ケ年に延長することを認可される。
9.1 関東大震災にあったが、たいした被害はなかった。
大正13年 (1924)
3.25 児玉実科女学校第1回卒業式(卒業生51名)
5.29 鈴木三郎氏、2代校長(小学校兼任)に就任。
大正14年 (1925)
3.25 児玉実科女学校第2回卒業式(卒業生42名)
5.1 校名・組織の変更を認可され、埼玉県児玉高等女学校(定員200名)と改称。
大正15・昭和元年(1926)
3.20 吉田栖氏、校長兼教諭に任命される。
3.22 学校を現在地に移し、校舎を新築落成。
3.25 埼玉県児玉高等女学校第1回卒業式(卒業生48名)
昭和2年 (1927)
3.23 埼玉県児玉高等女学校第2回卒業式(卒業生43名)服装が、ジャバラの白線(2本線に胸当て)のセーラーにかわった。袖口には線が入らない、海軍の水兵服と同様のもの、生地は木綿の綾織。
昭和3年 (1928)
3.23 埼玉県児玉高等女学校第3回卒業式(卒業生50名)
昭和4年 (1929)
3.6 生徒定員400名となる。
3.20 埼玉県児玉高等女学校第4回卒業式(卒業生43名)
昭和5年 (1930)
1.27 県立学校として移管を認められる。
2.15 本館・講堂(のち図書館に改造、現在はなし)を新築落成。
3.20 埼玉県児玉高等女学校第5回卒業式(卒業生45名)
4.1 埼玉県立児玉高等女学校と改称。
11.15 新築本館・講堂の落成式を行う。 ●当事の校訓「忠孝・誠実・敬愛」 ●世界恐慌、日本に波及。入学者激減。 ●制服・・・紺のショール・カラーにえんじのネクタイ、襞スカート、編上靴となる。
昭和6年 (1931)
3.20 埼玉県立児玉高等女学校第1回卒業式(卒業生22名)
8.31 足立武樹氏、校長兼教諭に就任。
9.21 午前11時20分、強度の地震発生。校舎の壁・備品等破損。コンクリート・地面に亀裂生ず。生徒の被害なし。
昭和7年 (1932)
1.28 上海事変
3.1 満州国建国宣言
3.18 県立高女第2回卒業式(卒業生61名)
4.20 補修科開校(同窓会経営による) ●このころしきりに校報発行(~10年まで、テーマ”乳幼児愛護週間” ”国民更生運動” ”健康週間” ”女子の嗜” ”祭日・祝日の意義” 等)
5.15 五・一五事件
昭和8年 (1933)
3.24 県立高女第3回卒業式(卒業生69名)
9.1 弓道場の落成式を行う。
12.23 皇太子御誕生祝賀式を行う。
昭和9年 (1934)
3.24 県立高女第4回卒業式(卒業生74名)
10.14 大阪地方災害義損金街頭募金を行う。(2日間)
11.17 4年生60名が、高崎練兵場の天皇陛下御親閲に参加。 ●八高線が全通する。
昭和10年 (1935)
3.25 県立高女第5回卒業式(卒業生65名)
昭和11年 (1936)
2.26 二・二六事件おきる。
3.6 本校生徒を団員とする「愛国処女団」発足。(団報も発行、テーマ”慰問感謝号” ”皇軍慰問号” 等)
3.27 県立高女第6回卒業式(卒業生93名)
昭和12年 (1937)
3.25 県立高女第7回卒業式(卒業生87名)
4.30 校長足立武樹氏退職、後任に長義正氏就任。
6.22 淑徳園造園作業開始(現在はもうない、そのころの一部の樹木が中庭・玄関脇に移植されている。)
7.7 蘆溝橋で日中両軍衝突(日中戦争はじまる) ●千人針・慰問袋さかんに行われる。
昭和13年 (1938)
3.26 県立高女第8回卒業式(卒業生93名)
4.1 国家総動員法公布
昭和14年 (1939)
3.18 県立高女第9回卒業式(卒業生104名)
3.26 神明宮の御殿祭、遷座祭を行う。
昭和15年 (1940)
3.19 県立高女第10回卒業式(卒業生92名)
3.30 長義正氏、県立忍高女校長に転任。後任に日新義虎氏就任。
昭和16年 (1941)
●このころ、神明宮前朝礼・修養会行われる。 ●このころ、戦死者遺骨出迎はじまる。カラムシ・ドングリ供出。
2.10 校歌制定(作詞 山岸諒三氏(教頭) 作曲 細川碧氏) 武蔵野の きはまるところ 真太刀はく 人のおこりし 史にてる里 つどふわがどち もろともに みくにのほこり 高くかざさむ
3.21 県立高女第11回卒業式(卒業生94名)
4.1 中等学校の制服新作(女子はセーラーを廃し、襟を右前、ヘチマ型とする)
12.8 ハワイ真珠湾攻撃・対米英宣戦布告(太平洋戦争)
12.20 御真影奉遷演習(10回)終了
昭和17年 (1942)
2.13 上武自動車事故(共和村役場前)で生徒29名負傷
3.5 空襲警報発令、西側防風林に避難。
3.20 県立高女第12回卒業式(卒業生93名)
昭和18年 (1943)
1.21 中等学校令改正により修業年限1年短縮して4年間とし、教科書も国定化。
3.20 県立高女第13回卒業式(卒業生94名)
昭和19年 (1944)
2.9 中等学校の教育内容戦時措置(高女の実業科各科目を正課とする)
3.23 県立高女第14回卒業式(卒業生108名)
3.31 日新義虎氏、不動岡中学校長に転任。後任に岡悌二氏就任。
●このころ、女子勤労延身隊として(板橋造兵工敵、東洋兵器等)出動 ●このころ、出征兵士、遺家族への農作業勤労奉仕しきり。
7.7 3・4年生、全員被服廠学校工場の軍服縫製作業はじまる。 ●疎開による編入続く。
昭和20年 (1945)
3.3 運動場トラック内開墾
3.27 県立高女第15回卒業式(卒業生110名)
4.1 軍服縫製作業、2直制に入る。(2年生以上)
5.16 被服廠学校工場阿久原分校開設(鬼石、若泉出身者2年以上34名)
8.15 ポツダム宣言受諾(日本、無条件降伏)
9.17 児玉飛行場に米兵進駐。このころ学校で護身術講習行われる(8回)また、疎開生徒の転出しきり。
9.20 文部省、教科書より戦時教材の省略削除通牒。
10.11 G.H.Q「人権確保の五大改革」要求。(→六・三制へ)
昭和21年 (1946)
1.15 修身、国史、地理教科書を生徒より回収。教育機関における神社参拝・儀式・神棚・国家神道の物的象徴の除去の通牒により、神明宮等、炎上により除去。
3.22 県立高女第16回卒業式(卒業生120名)
8.27 作業服配給。スカートをもっているものは使用許可。
10.8 教育勅語廃止の文部省通達
11.3 日本国憲法公布 ●このころ、職員間で職員英語会の研修続く。 ●このころ財閥解体、農地改革行われる。
昭和22年 (1947)
3.22 県立高女第17回卒業式(5年制)(卒業生30名)
3.31 学則変更、定員を600名とする。
4.1 学制改革(6・3制)により、新制中学校を併設。
7.15 父母教師会設立準備会(作法室)→9.13PTA創立総会(公開授業:5年体操、3年ダンス)
昭和23年 (1948)
2.2 新制高校設置準備委員会発足
3.22 県立高女第18回卒業式(卒業生108名) 同、併設中学卒業式(卒業生175名)
4.1 学制改革により男女共学制となり、埼玉県立児玉高等学校と改称。
6.7 群馬交響楽団演奏会(講堂) ●前年ころより、悪性インフレ。
昭和24年 (1949)
2.15 岡悌二氏、県教委指導係主任として転任。後任に古曳保正氏が就任。
3.15 運動場拡張作業はじまる。
3.19 県立高女第19回卒業式(卒業生133名) 県立高女併設中卒業式(卒業生156名) 埼玉県立児玉高等学校第1回卒業式(卒業生10名)
4.1 定時制普通科(夜間4年制、定員200名)を併置。
8.24 校庭を西方に2,571m²拡張。
9.9 運動場拡張工事起工式→各町村に労力奉仕を依頼(設30日間)(生徒も整地作業に参加、約15日間) ●サッカー部 関東大会(宇都宮)出場
昭和25年 (1950)
3.23 全日制第2回卒業式(卒業生21名)
3.31 古曳保正氏、本庄高校長へ転任。後任に林達也氏就任。
4.1 定時制家庭科(修業年限1年、昼間)増置
4.15 校長公舎落成祝賀会(今はもうない、現校門入口駐車場)
6.10 合同模試始まる。(初、熊谷本庄と3校で。後秩父、鴻巣と加わり最終は13校に発展)
6.25 朝鮮戦争はじまる。
9.13 新校歌詞募集。坂本麻子氏(生徒)入選。 ●陸上競技部・・・関東大会(水戸)出場
昭和26年 (1951)
3.8 全日制第3回卒業式。この年創立以来はじめて男子卒業生を送り出した。(卒業生男子71名、女子138名 計209名)定時制第1回卒業式(卒業生男子2名、女子1名 計3名)
3.20 定時制家庭科第1回卒業式(女子37名)
9.8 サンフランシスコ講和条約、日米安保条約調印
11.23 PTA臨時総会で満場一致で理科教室増築協力会を結成。 ●自転車競技(個人)、国体出場。
昭和27年 (1952)
3.8 全日制第4回卒業式(卒業生男子78名、女子148名 計226名)、定時制第2回卒業式(卒業生男子10名)
3.20 新校歌(現行)発表会を行う。(作曲者下総皖一氏来校)
3.22 定時制家庭科第2回卒業式(卒業生女子50名)
9.16 校舎増築地鎮祭を行う。 ●バスケット・バレー・陸上競技部・・・関東大会に出場。
昭和28年 (1953)
1.10 校舎増築(理科)上棟式を行う。
3.6 全日制第5回卒業式(卒業生、男子95名、女子136名 計231名)、定時制第3回卒業式(卒業生男子31名)
3.20 定時制家庭科第3回卒業式(卒業生、女子33名)
4.1 全日制定員750名となる。
7.18 理科特別棟落成式を行う。野球バックネット完成。
8.16 林達也氏、飯能高校長へ転任。後任に鈴木長作氏就任。 ●陸上競技(走高)で国体県予選、優勝。同じく国体に自転車競技(個人)出場。 ●弁論部、全国大会(宇都宮)出場。
昭和29年 (1954)
3.9 全日制第6回卒業式(卒業生217名、男子93名、女子124名)、定時制第4回卒業式(卒業生男子42名)、定時制家庭科第4回卒業式(卒業生、女子17名)
4.1 定時制家庭科を改めて、定時制別科(修業年限2年、昼間制)とする。 ●バスケット部(男女)・・・関東大会(甲府)出場、男子優勝、卓球部・・・関東大会(横須賀)、陸上競技部・・・同(藤沢)出場、陸上競技部・・・全国大会(熊本)出場、サッカー部・・・東日本大会(神宮)出場
昭和30年 (1955)
1.3 児玉町大火41戸全焼(本校罹災生徒7名)・・・後片づけに協力(約150名)
3.8 全日制第7回卒業式(卒業生228名、男子89名、女子139名)、定時制第5回卒業式(卒業生男子32名)、定時制別科第1回卒業式(女子25名)
9.30 PTA常任委員会で新校舎増築を決議。
10.31 本館昇降口(20m²)改築。
12.10 懸案の生徒男子便所新築。 ●テニス部・・・東日本大会(小田原)3位。関東大会(平塚)出場。
昭和31年 (1956)
3.7 全日制第8回卒業式(卒業生260名、男子117名、女子143名)、定時制第6回卒業式(卒業生男子25名)、定時制別科第2回卒業式(卒業生、女子34名)
4.4 県議会で校舎増築工事の件、議決される。(鉄筋4階建1,891m²、昭和31~32年の継続事業として予算化)
12.18 日本、国際連合に加盟。
昭和32年 (1957)
3.8 全日制第9回卒業式(卒業生253名、男子112名、女子141名)、定時制第7回卒業式(卒業生男子28名)、定時制別科第3回卒業式(卒業生女子61名)
6.22 学校敷地として、1,580m²を買収。
12.3 鉄筋4階校舎(1,891m²)新築。 ●テニス部・・・東日本大会(福島)個人女子3位。
昭和33年 (1958)
1.25 新築校舎落成式を行う。(講堂)
3.10 全日制第10回卒業式(卒業生250名、男子89名、女子161名)、定時制第8回卒業式(卒業生36名、男子35名、女子1名)、定時制別科第4回卒業式(卒業生女子59名)
3.17 旧校舎及び付属建物を児玉町に払下げ、解体する(8月)自転車置場建設。
3.27 児玉共和合併祝賀式を行う。(講堂)
9.10 運動部更衣室(約30m²)新築落成。
11.1 東側便所1棟を新築落成。
昭和34年 (1959)
3.10 全日制第11回卒業式(卒業生259名、男子93名、女子166名)、定時制第9回卒業式(卒業生23名、男子22名、女子1名)、定時制別科第5回卒業式(卒業生女子60名)
4.1 鈴木長作氏、春日部女子高校長に転任。後任に本橋信治氏が就任。
5.28 校庭拡張のための請願書を県議会に提出。
7.1 講堂改造工事はじまる。
8.1 運動部更衣室増築(約12m²)
10.10 女子服装改定委を設置、改定作業を行う。 ●テニス部(男子)・・・関東大会(高崎)、インターハイ(小田原)出場。バレー部・・・関東大会(宇都宮)、陸上競技部・・・同。 ●全国高校雄弁大会(小名浜)で2位入賞。
昭和35年 (1960)
1.19 女子の制服(セーラー)を廃し、現在の背広型に改定。
3.10 全日制第12回卒業式(卒業生262名、男子97名、女子165名)
3.14 定時制第10回卒業式(卒業生23名、男子21名、女子2名)、定時制別科第6回卒業式(卒業生女子45名)
11.10 PTA常任委員会で体育館兼講堂の建設を決議。
12.1 校庭西隣接地(6,244m²)を校庭として拡張。(それに伴い西側の杉伐木。また、埴輪窯跡の発掘を行う。)
12.27 体育館兼講堂建設のための嘆願書を県議会に提出。 ●バスケット部(女子)・・・関東大会(藤沢)出場。テニス部(男子)・・・関東大会(栃木)、インターハイ(徳島)出場、化学部・・・学生化学賞最優秀作品として入賞(県会議長賞)
昭和36年 (1961)
3.9 全日制第13回卒業式(卒業生265名、男子112名、女子153名)、定時制第11回卒業式(卒業生28名、男子25名、女子3名)、定時制別科第7回卒業式(卒業生女子45名)
3.15 新校庭整地作業ブルドーザー作業開始(→30日まで)
5.1 新校庭整地作業(サッカー、バレーコート区分、バレー、テニス、ソフトコート作成、バックネット移転、部室移転等)
9.28 体育館兼講堂の建設予算が県議会を通過。
10.15 体育館兼講堂建設協力会発足。 ●テニス部(男子)・・・学徒大会優勝(個人)同総合優勝。インターハイ(新潟)出場。バスケット部(女子)・・・関東大会(水戸)出場。サッカー部・・・関東大会(藤沢)出場。化学部・・・学生科学賞最優秀作品として入賞(県知事賞)
昭和37年 (1962)
3.9 全日制第14回卒業式(卒業生258名、男子107名、女子151名)、定時制第12回卒業式(卒業生24名、男子23名、女子1名)、定時制別科第8回卒業式(卒業生女子44名)
3.30 体育館兼講堂の地鎮祭を行う。(体育館工事はじまる)・・・古郡工務店。
4.1 本橋信治氏、鴻巣高校長に転任。後任に竹本礼三氏が就任。定時制別科を廃止する。全日制定員が1,050名となる。
10.25 体育館兼講堂(1,021m²)建設完了。経費18,189,000円。
11.17 創立40周年記念及び体育館兼講堂の落成式を行う。(東京バレー劇場公演、NHK公開録音<放送演芸会>)
12.25 鉄筋コンクリート4階建校舎増築(342m²) ●テニス部(女子)・・・学徒大会総合準優勝。テニス部(男女)・・・インターハイ(下関)出場。
昭和38年 (1963)
2.16 旧講堂を模様替えして図書館とする。
3.9 全日制第15回卒業式(卒業生244名、男子89名、女子155名)、定時制第13回卒業式(卒業生15名、男子14名、女子1名)、定時制別科第9回卒業式(卒業生女子13名)
3.30 更衣室(約100m²)、生徒便所(20m²)、自転車置場新設。
4.1 全日制定員1,100名(うち臨時増50名)となる。 ●テニス部(男女)・・・関東大会、インターハイ(伊勢)出場。女子5回戦。バスケット部・・・関東大会出場。卓球部・・・関東大会出場。男子単・女子単複・・・全日本硬式選手権出場。国体も。山岳部・・・インターハイ(阿蘇)出場。 ●このころより、バイク事故による生徒負傷がおこりはじめる。
昭和39年 (1964)
2.15 生徒会室を新築落成(33m²)
3.11 全日制第16回卒業式(卒業生243名、男子80名、女子163名)、定時制第14回卒業式(卒業生15名、男子14名、女子1名)
3.26 定時制給食棟新築落成(約150m²)
10.10 第18回オリンピック東京大会開催。 ●サッカー部・・・関東大会(館林)出場。卓球部・・・同。山岳部・・・インターハイ(奈良県)出場。 ●この年、オリンピック見学実施(東京、大宮)。
昭和40年 (1965)
3.9 全日制第17回卒業式(卒業生374名、男子113名、女子261名)、定時制第15回卒業式(卒業生男子7名)
3.31 竹本礼三氏退職。後任に江森三郎氏が就任。
7.20 学校敷地(5,305m²)買収。
11.10 グランドピアノ披露招待音楽会(諏訪根自子、田中園子氏演奏)
11.25 学校敷地(145m²)買収。 ●テニス部(男子)・・・インターハイ(別府)出場。
昭和41年 (1966)
1.31 職員便所新築落成(21m²)
2.4 プール地鎮祭(プール建設工事はじまる。)
3.11 全日制第18回卒業式(卒業生418名、男子155名、女子263名)、定時制第16回卒業式(卒業生20名、男子19名、女子1名)
3.22 学校敷地(1,785m²)を買収。
9.10 プール竣工し、祝賀式を行う。工費1,345万円。
9.25 台風26号による被害大。(学校床上浸水)
11.9 学校敷地(6,085m²)を買収。 ●テニス部(女子)・・・関東大会(小田原)、インターハイ(弘前)。国体出場。卓球部(女子)・・・全日本選手権(青森)出場。関東大会(藤沢)出場。山岳部・・・インターハイ(岩手山)出場。
昭和42年 (1967)
3.8 全日制第19回卒業式(卒業生399名、男子151名、女子248名)、定時制第17回卒業式(卒業生21名、男子18名、女子3名)
3.31 江森三郎氏退職。後任に掘越貞友氏が就任。
4.1 生徒定員全日制1,200名、定時制200名となる。
10.14 埼玉国体に参加(国体旗リレーを行う。)
10.22 埼玉国体開催(天皇、皇后杯獲得) ●テニス部(女子)・・・インターハイ(武生)出場。山岳部・・・同(立山・剣)。サッカー部・・・関東大会(藤沢)。バスケット部(女子)・・・同(山梨)
昭和43年 (1968)
2.7 校地造成工事はじまる。
3.8 全日制第20回卒業式(卒業生418名、男子158名、女子260名)、定時制第18回卒業式(卒業生男子18名)
4.1 掘越貞友氏、本庄高校長に転任。後任に栗田竹雄氏が就任。生徒定員全日制1,192名、定時制198名となる。
9.22 夜間照明設備工事はじまる。
10.23 明治百年祭を行う。 ●バスケット部(女子)・・・関東大会(千葉)出場、3位。山岳部・・・関東大会(日光)出場。体操部(男子)・・・同(甲府)。理化部・・・県科学教育振興会主催展示会で優秀作品として入賞。
昭和44年 (1969)
3.8 全日制第21回卒業式(卒業生402名、男子141名、女子261名)、定時制第19回卒業式(卒業生19名、男子16名、女子3名)
10.23 新校庭(15,169m²)完成祝賀式を行う。 ●テニス部(男子)・・・関東大会(小田原)、新人戦個人優勝。バスケット部(女子)・・・学徒大会優勝。関東大会(日立)3位。陸上競技部(走高)・・・関東大会(上尾)出場。山岳部(女子)・・・同。
昭和45年 (1970)
3.10 全日制第22回卒業式(卒業生399名、男子133名、女子266名)、定時制第20回卒業式(卒業生29名、男子26名、女子3名)
3.31 栗田竹雄氏退職。後任に金子秀吉氏が就任。
4.1 生徒定員全日制1,152名、定時制188名となる。
4.28 運動部室完成(216m²)。竣工式を行う。 ●柔道部・・・学徒大会個人戦優勝。卓球部・・・ダブルス関東大会(宇都宮)出場。インターハイ(名古屋)出場。バスケット部(女子)・・・関東大会(深谷)出場。テニス部(女子)・・・インターハイ(伊勢)出場。(男子)・・・関東大会(甲府)出場。山岳部(女子)・・・関東大会(奥秩父)出場。
昭和46年 (1971)
1.26 鉄筋校舎増改築に伴ない、校長室・事務室・1年教室等をプレハブ仮校舎を造り、移転する。
3.9 全日制第23回卒業式(卒業生387名、男子127名、女子260名)、定時制第21回卒業式(卒業生19名、男子18名、女子1名)
4.1 生徒定員全日制1,128名、定時制180名となる。
9.28 鉄筋コンクリート4階建普通教室(1,525m²)増築完成。 ●バスケット部(女子)・・・関東大会(東京)出場。 ●柔道部・・・関東大会(浦和)出場。テニス部・・・同(宇都宮) ●卓球部・・・関東大会(熊谷)出場。陸上競技部(円盤)・・・同(千葉)
昭和47年 (1972)
3.9 全日制第24回卒業式(卒業生378名、男子107名、女子271名)、定時制第22回卒業式(卒業生16名、男子12名、女子4名)
4.1 生徒定員全日制1,104名、定時制172名となる。
5.15 沖縄復帰、沖縄県発足。
11.9 体育教官室(58m²)を新築落成。 ●バスケット部(女子)・・・学徒大会優勝。新人戦優勝。関東大会(藤沢)インターハイ(福島)出場。テニス部(男女)・・・関東大会(前橋)。(男子)・・・インターハイ(山形)出場五回戦。山岳部・・・インターハイ(米沢、吾妻連峰)出場。サッカー部・・・関東大会(水戸)優勝。インターハイ(山形)出場3位。埼玉県体育賞受賞。国体出場(県チームの一部として)・・・柔道部(1)サッカー部(5)
昭和48年 (1973)
3.8 全日制第25回卒業式(卒業生373名、男子138名、女子235名)、定時制第23回卒業式(卒業生13名、男子7名、女子6名)
4.1 金子秀吉氏、本庄高校長に転任。後任に江原啓氏が就任。全日制定員1,088名、定時制166名となる。 ●バスケット部(女子)・・・関東大会(東京)準優勝。テニス部(男子)・・・新人戦団体優勝。関東大会(土浦)出場。柔道部・・・関東大会(日立)出場。県体優勝。ラグビー部・・・県体優勝。卓球部(女子)・・・関東大会(前橋)出場。サッカー部・・・関東大会(藤沢)、インターハイ(伊賀上野)全国優勝。埼玉県体育賞、知事賞、栄光賞受賞。日韓親善試合(対漢陽高戦。国立西ケ丘)新人戦優勝。国体出場(県チームの一部として)・・・柔道部、サッカー部(準優勝)
昭和49年 (1974)
3.8 全日制第26回卒業式(卒業生367名、男子131名、女子236名)、定時制第24回卒業式(卒業生15名、男子9名、女子6名)
4.1 生徒定員全日制1,080名、定時制162名となる。
7.1 制服を廃止。服装自由化の試行期間に入る。 ●柔道部・・・インターハイ(個人重量級)(福岡)出場、体育賞受賞。卓球部(女子)・・・関東大会(鉾田)、インターハイ出場。テニス部・・・関東大会(熊谷)、インターハイ出場。山岳部・・・インターハイ(福岡、英彦山)出場。サッカー部・・・関東大会(甲府)、インターハイ(佐賀)準優勝、体育賞・知事賞受賞。全国高校選手権(大阪)3位。
昭和50年 (1975)
2.3 1号館(木造)の解体工事(管理特別棟の増築計画による)
3.8 全日制第27回卒業式(卒業生357名、男子150名、女子207名)、定時制第25回卒業式(卒業生23名、男子18名、女子5名)
4.1 定時制定員160名となる。
12.9 合宿棟地鎮祭を行う(合宿棟工事はじまる)
12.25 鉄筋4階建管理特別教室棟(2,005m²)の増築完成。 ●テニス部・・・関東大会(黒磯)出場、陸上競技部、山岳部・・・同。サッカー部・・・学徒大会優勝、インターハイ(韮崎)準優勝。体育賞・知事賞受賞。
昭和51年 (1976)
1.9 新校舎へ校長室、事務室、職員室等移転。これにともない造園工事を行う。
3.9 全日制第28回卒業式(卒業生355名、男子157名、女子198名)、定時制第26回卒業式(卒業生14名、男子5名、女子9名)
4.1 江原啓氏、寄居高校長に転任。後任に宮原善三郎氏が就任。
6.22 鉄筋・鉄骨コンクリート2階建合宿棟(1,063m²)竣工。
6.25 創立50周年記念兼管理棟、合宿棟落成記念式典を行う。 ●柔道部・・・関東大会(宇都宮)。テニス部・・・同(千葉)、国体出場・・・サッカー部(2名)
昭和52年 (1977)
3.9 全日制第29回卒業式(卒業生361名、男子182名、女子179名)、定時制第27回卒業式(卒業生3名、男子2名、女子1名)
8.21 旧用務員室、柔道場(もとの調理室)解体、整地作業。 ●山岳部・・・関東大会(土合谷川岳)出場。サッカー部・・・新人戦優勝、関東大会(浦和)出場、国体3名出場(3位)。スキー同好会・・・関東大会(片品)出場。
昭和53年 (1978)
3.9 全日制第30回卒業式(卒業生350名、男子193名、女子157名)、定時制第28回卒業式(卒業生11名、男子4名、女子7名)
4.1 宮原善三郎氏、秩父東高校長に転任。後任に原多喜男氏が就任。
4.24 旧グランド附設手洗い完成。 ●柔道部・・・関東大会(浦和)出場。陸上競技部・・・同(藤沢)。テニス部・・・関東大会(土浦)出場。サッカー部・・・関東大会(矢板)出場。スキー同好会・・・同(片品)国体出場・・・柔道部(1)、サッカー部(2)。サッカー部の1名は世界ユース(ユーゴスラビア)代表に選ばれる。
昭和54年 (1979)
3.9 全日制第31回卒業式(卒業生360名、男子163名、女子197名)、定時制第29回卒業式(卒業生8名、男子2名、女子6名) ●卓球部(女子)・・・学徒大会優勝、関東大会(所沢)、インターハイ(大阪)出場。新人戦優勝。柔道部・・・学徒大会優勝、関東大会(前橋)出場。陸上競技部・・・関東大会(宇都宮)出場。スキー同好会・・・関東大会(塩沢)、インターハイ(妙高)出場。国体出場・・・柔道部(1)、サッカー部(2)、スキー同好会(1)
昭和55年 (1980)
1.26 プレハブ校舎解体作業(2.14、一部を男子更衣室、生徒会室等として、体育館北側に移建)
3.6 特別教室棟(理科、芸術、家庭、図書館等)建設工事はじまる。
3.8 全日制第32回卒業式(卒業生354名、男子164名、女子190名)、定時制第30回卒業式(卒業生11名、男子7名、女子4名)
9.1 女子留学生(リン、カナダ)来る(→56.7.20)
12.9 特別教室棟、鉄筋コンクリート造3階建2,994m²が完成。附属施設として、し尿浄化槽、受水槽を新築した。
12.17 同上への移転作業を行う。 ●柔道部・・・学徒大会優勝、関東大会(千葉)、インターハイ(鳴門)出場。卓球部(女子)・・・関東大会(藤沢)、インターハイ(高知)出場。スキー同好会・・・関東大会、インターハイに出場。国体出場・・・柔道部(1)、卓球部女子(2)、サッカー部(1)、スキー同好会(1)
昭和56年 (1981)
2.3 旧理科棟(木造、昭和28年建築)解体工事を行う。
3.9 全日制第33回卒業式(卒業生359名、男子162名、女子197名)、定時制第31回卒業式(卒業生14名、男子8名、女子6名)
3.31 特別教室棟建築に伴う環境整備工事を行う(正門、校内舗装、ネットフェンス、造園工事等)。自転車置場3棟(600台収容)を新築する。合宿棟に至る渡廊下(82m²)も建設。
4.22 東側自転車置場(3棟)を解体撤去。 ●柔道部・・・関東大会(横須賀)出場、サッカー部・・・同(韮崎)。スキー同好会・・・関東大会(妙高)。国体(草津)出場。
昭和57年 (1982)
3.9 全日制第34回卒業式(卒業生357名、男子163名、女子194名)、定時制第32回卒業式(卒業生男子1名)
4.1 原多喜男氏浦和東高校開設準備委員長に転任。後任に石黒希代氏が就任。
8.1 台風10号による被害大、管理棟床上浸水・倒木多数・新グランド(野球)内の土砂流出。
10.28 定時制給食室を解体、新給食棟建築工事はじまる。 ●卓球(女子)・・・関東大会(千葉)、インターハイ(指宿)出場。柔道部・・・関東大会(甲府)、インターハイ(出水)出場。
昭和58年 (1983)
3.9 全日制第35回卒業式(卒業生353名、男子163名、女子190名)、定時制第33回卒業式(卒業生12名、男子8名、女子4名)
3.25 食堂(506.19m²)を新築する。台風被害による新グランド(野球)及旧グランド(サッカー)の整備工事完了。
5.21 創立60周年、食堂落成記念祝賀会を挙行する。 ●柔道部・・・関東大会(水戸)、インターハイ(東京)、関東新人大会(千葉)出場、スキー同好会・・・関東大会(片品)出場。
昭和59年 (1984)
3.9 全日制第36回卒業式(卒業生350名、男子161名、女子189名)、定時制第34回卒業式(卒業生10名、男子7名、女子3名)
4.1 制服を復活。 ●柔道部・・・関東大会(宇都宮)インターハイ(秋田)出場、卓球部(女子)・・・全日本卓球選手権大会(東京)出場、スキー同好会・・・関東大会(塩沢)出場。
昭和60年 (1985)
3.8 全日制第37回卒業式(卒業生350名、男子152名、女子198名)、定時制第35回卒業式(卒業生9名、男子4名、女子5名)
3.31 石黒希代氏退職、後任に杉田仁次氏が就任。
9.2 女子留学生(ロリー・メイン、カナダ)来る。(→61.6.27) ●柔道部・・・関東大会(浦和)出場、卓球部(女子)・・・関東大会(河口湖)出場、スキー同好会・・・関東大会(片品)、インターハイ(白馬)出場。
昭和61年 (1986)
2.21 体育館兼講堂フロアー全面改修終了。
3.8 全日制第38回卒業式(卒業生351名、男子157名、女子194名)、定時制第36回卒業式(卒業生3名、男子1名、女子2名) ●柔道部・・・関東大会(浦和)、新人関東大会(東京)、新人全国大会(東京)出場、スキー同好会・・・関東大会(片品)、インターハイ(二戸)出場、写真愛好会・・・全国高等学校総合文化祭(大阪)出場、定時制自転車・・・全国大会(修善寺)出場。
昭和62年 (1987)
3.9 全日制第39回卒業式(卒業生354名、男子149名、女子205名)、定時制第37回卒業式(卒業生15名、男子13名、女子2名)
3.31 杉田仁次氏退職、後任に岩田明氏が就任。
4.1 生徒定員全日制1,088名となる。 ●柔道部・・・関東大会(前橋)、インターハイ(東京)、関東有段者大会(東京)出場、卓球部(女子)・・・関東大会(熊谷)出場、スキー同好会・・・関東大会(片品)、インターハイ(旭川)出場。バスケット部(女子)・・・NHK杯選抜大会(新潟)出場、定時制自転車・・・全国大会(修善寺)出場。
昭和63年 (1988)
3.8 全日制第40回卒業式(卒業生355名、男子141名、女子214名)、定時制第38回卒業式(卒業生21名、男子18名、女子3名)
4.1 生徒定員全日制1,142名となる。 ●柔道部・・・三笠艦記念関東7県大会(横須賀)、関東大会(千葉)出場、バスケット部(女子)・・・関東大会(熊谷)出場。
平成元年 (1989)
2.1 女子留学生(リースル・ライケルト、オーストラリア)来る。(→12.22)
3.9 全日制第41回卒業式(卒業生354名、男子150名、女子204名)、定時制第39回卒業式(卒業生18名、男子14名、女子4名)
4.1 岩田明氏県立博物館長に転任、後任に杉田治正氏が就任。生徒定員全日制1,150名となる。 ●柔道部・・・関東大会(横浜)出場。
平成2年 (1990)
3.9 全日制第42回卒業式(卒業生364名、男子151名、女子213名)、定時制第40回卒業式(卒業生15名、男子13名、女子2名)
4.1 生徒定員全日制1,142名となる。 ●柔道部・・・関東大会(甲府)出場。
平成3年 (1991)
2.2 全日制普通科の推薦入学試行を実施(平成3年度入学生)
3.8 全日制第43回卒業式(卒業生409名、男子175名、女子234名)、定時制第41回卒業式(卒業生14名、男子12名、女子2名)
4.1 生徒定員全日制1,088名となる。
平成4年 (1992)
3.3 体育館鉄骨造2階建を新築する。
3.9 全日制第44回卒業式(卒業生361名、男子147名、女子214名)、定時制第42回卒業式(卒業生27名、男子23名、女子4名)
4.1 生徒定員全日制1,070名となり、体育コースを設置する。(2学級)
平成5年 (1993)
3.8 全日制第45回卒業式(卒業生344名、男子167名、女子177名)、定時制第43回卒業式(卒業生30名、男子28名、女子2名)
4.1 制服を新作する。
11.16 同窓会館を新築し、70周年記念式典を挙行する。
平成6年 (1994)
3.8 全日制第46回卒業式(卒業生352名、男子186名、女子166名)、定時制第44回卒業式(卒業生26名、男子19名、女子7名)
4.1 生徒定員全日制990名となる。
平成7年 (1995)
3.8 全日制第47回卒業式(卒業生345名、男子171名、女子174名)、定時制第45回卒業式(卒業生16名、男子13名、女子3名)
4.1 生徒定員全日制960名となる。
平成8年 (1996)
2.2 推薦入学における地域推薦を実施する。
3.8 全日制第48回卒業式(卒業生311名、男子147名、女子164名)、定時制第46回卒業式(卒業生21名、男子18名、女子3名)
平成9年 (1997)
3.8 全日制第49回卒業式(卒業生312名、男子158名、女子154名)、定時制第47回卒業式(卒業生2名、男子2名)
4.1 生徒定員全日制959名となる。 ●柔道部・・・関東大会出場。
平成10年 (1998)
3.7 全日制第50回卒業式(卒業生310名、男子141名、女子169名)、定時制第48回卒業式(卒業生5名、男子5名)
4.1 生徒定員全日制943名となる。 ●柔道部・・・全国高等学校選手権大会、関東大会出場。
平成11年 (1999)
3.8 全日制第51回卒業式(卒業生294名、男子136名、女子158名)、定時制第49回卒業式(卒業生9名、男子8名、女子1名)
4.1 生徒定員全日制926名となる。 ●柔道部・・・全国高等学校選手権大会、インターハイ(岩手)、関東大会出場。
平成12年 (2000)
3.8 全日制第52回卒業式(卒業生289名、男子156名、女子133名)、定時制第50回卒業式(卒業生11名、男子5名、女子6名)
4.1 生徒定員全日制927名となる。 ●柔道部・・・関東大会出場。
平成13年 (2001)
3.8 全日制第53回卒業式(卒業生307名、男子125名、女子182名)、定時制第51回卒業式(卒業生6名、男子5名、女子1名)
4.1 生徒定員全日制933名となる。 ●女子バスケットボール部・・・インターハイ(熊本)出場。関東大会(千葉)ブロック準優勝。柔道部・・・関東大会出場。演劇部・・・県大会3位入賞。
平成14年 (2002)
3.8 全日制第54回卒業式(卒業生284名、男子109名、女子175名)、定時制第52回卒業式(卒業生6名、男子5名、女子1名)
4.1 生徒定員全日制864名となる。 ●女子柔道部・・・全国高校選抜大会、関東大会出場。女子バスケットボール部・・・インターハイ戦進出。関東大会出場。ウインターカップ(全国高校選抜優勝大会)初出場。
平成15年 (2003)
3.7 全日制55回卒業式(卒業生288名、男子114名、女子174名)、定時制第53回卒業式(卒業生9名、男子7名、女子2名)
3.31 関田武彦校長退職、後任に松本軍征氏が就任。
4.1 生徒定員全日制840名となる。 ● 女子バスケットボール部・・・全国選抜優勝大会ウインターカップ2年連続出場、関東大会出場、インターハイ出場、新人関東大会出場、国体(静岡)2名出場。
平成16年 (2004)
3.8 全日制56回卒業式(卒業生249名、男子98名、151名)、定時制第54回卒業式(卒業生18名、男子14名、女子4名)
4.1 生徒定員全日制840名。 ● 女子柔道部・・・県新人戦2位、関東大会出場。女子バスケットボール部・・・関東大会出場、インターハイ出場、国体(埼玉)6名出場。バドミントン部・・・関東大会県予選ベスト16。陸上部・・・インターハイ県予選出場。
平成17年 (2005)
3.8 全日制57回卒業式(卒業生233名、男子96名、女子137名)、定時制第55回卒業式(卒業生9名、男子4名、女子5名)
3.31 松本軍征校長退職、後任に飯塚和夫氏が就任。
4.1 生徒定員全日制800名となる。 ● 男子柔道部・・・関東大会28回目出場、インターハイ県予選団体3位、個人100kg超級優勝、インターハイ個人ベスト16、県新人戦団体3位、個人100kg超級優勝。女子柔道部・・・関東大会出場3名、57kg級2位、インターハイ出場48kg級、県高校選手権2位、新人戦2位、全国高校柔道選手権48kg級5位。女子バスケットボール部・・・関東大会出場6年連続(18回目)。家庭部・・・県高校家庭クラブ研究発表会優秀賞。
平成18年 (2006)
3.9 全日制58回卒業式(卒業生223名、男子95名、女子128名)、定時制第56回卒業式(卒業生11名、男子6名、女子5名)
3.31 飯塚和夫校長退職、後任に関根正和氏が就任。
4.1 生徒定員全日制760名となる。 ● 男子柔道部・・・インターハイ100kg超級3位。女子柔道部・・・関東大会個人3位。女子バスケットボール部・・・関東大会、インターハイ、ウインターカップ、国体(兵庫)6名出場。野球部・・・県大会ベスト32。
9.29 管理特別教室棟の耐震補強工事及び音楽室アスベスト除去工事完了。
平成19年 (2007)
3.8 全日制59回卒業式(卒業生238名、男子103名、女子135名)、定時制第57回卒業式(卒業生12名、男子9名、女子3名)
4.1 生徒定員全日制720名となる。 ● 男子柔道部・・・県ジュニア体重別選手権60kg級2位・関東大会2位、県新人大会ベスト8、北部地区大会優勝。女子柔道部・・・関東大会団体・個人3名出場、インターハイ予選団体2位。
9.14 快適ハイスクール施設整備事業による屋上防水工事(管理特別教室棟、普通教室棟、特別教室棟、給食棟、体育館)を完了。
平成20年 (2008)
3.7 全日制60回卒業式(卒業生198名、男子100名、女子98名)、定時制第58回卒業式(卒業生6名、男子5名、女子1名)
4.1 関根正和校長、本庄高校へ転任、後任に山邊樹久生氏が就任。
生徒定員全日制680名となる。 ● 男子柔道部・・・北部地区大会優勝、関東大会出場、県ジュニア選手権66kg級2位、関東大会ベスト8。山岳部・・・関東大会出場。女子柔道部・・・関東大会団体・個人2名出場、インターハイ県予選団体5位・57kg級ベスト16。卓球部女子・・・全国定通大会個人・団体出場。
9.30 快適ハイスクール施設整備事業による普通教室棟トイレ設備改修を完了。
平成21年 (2009)
3.10 全日制61回卒業式(卒業生164名、男子76名、女子88名)、定時制第59回卒業式(卒業生13名、男子11名、女子2名)
4.1 生徒定員全日制640名となる。 ● 男子柔道部・・・関東大会出場(30回目)。女子柔道部・・・関東大会団体5位。卓球部女子・・・全国定通大会個人・団体出場。野球部・・・県大会3戦。演劇部・・・地区秋季演劇祭奨励賞。
9.18 特別教室棟全体改修工事を完了。
平成22年 (2010)
3.11 全日制62回卒業式(卒業生189名、男子78名、女子111名)、定時制第60回卒業式(卒業生4名、男子4名、女子0名)
3.31 山邊樹久生校長退職、後任に長島武志氏が就任。
4.1 生徒定員全日制600名となる。 ● 男子柔道部・・・県新人戦個人3位。女子柔道部・・・関東大会出場63kg級3位、全国高校選手権70kg級出場。女子バスケットボール部・・・県大会ベスト8。陸上部…県大会男子100m2位。野球部・・・北部地区代表決定戦。吹奏楽部・・・県吹奏楽コンクールcの部優良賞、アンサンブルコンテスト銅賞。卓球部女子・・・全国定通大会個人、団体出場。
平成23年 (2011)
3.11 全日制63回卒業式(卒業生167名、男子70名、女子97名)、3.15定時制第61回卒業式(卒業生16名、男子12名、女子4名)午後2時47分、東日本大震災発生。東北地方の太平洋側を中心に、大津波の犠牲者約2万4千人。埼玉県の犠牲者無し、本校の被害も軽微であった。
4.1 生徒定員全日制640名となる。 ● 女子柔道部・・・関東大会団体・個人3名出場、70kg級優勝、48kg級3位、インターハイ出場。陸上部・・・県大会男子100m3位(10秒82)、関東大会出場。女子バスケットボール部・・・県大会ベスト4。卓球部女子・・・全国定通大会個人出場。
8.13 ●女子柔道部・・・平成23年度全国高等学校総合体育大会(第60回全国高等学校柔道大会)女子70kg級優勝新井千鶴選手。

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